2007年12月14日金曜日

12月6日虎ノ門パストラルでの追悼会


         たくさんの追悼会が開かれましたが、今回が今年最後の
         大きな追悼会となりました。産業医学研究財団の小川進吾氏
         が発起人代表となって、お茶の水女子大卒業生、学会の先生
         方が発起人となり、100人のそれぞれの分野の方がご参会され
         先生のご活躍の広さが伺われる会でした。先生との思い出が
         尽きず、和やかにお話が続きました。お別れするけじめが
         ついたと、先生のお写真を胸に散会しました。    

虎ノ門パストラルホテルでの追悼会


         2007年12月6日、先生の追悼会が虎ノ門パストラルで
         100名の友人・教え子などが集い、和やかに開かれました。
         先生は亡くなっても人気抜群、皆さんが先生の思い出に
         湧きました。2時間の間、スライドショウによる先生紹介、
         それぞれのグループで先生との写真撮影など、話に花を
         咲かせておりました。先生の絵の展示も好評でした。
         この写真は横浜国大グループです 

2007年12月8日土曜日

 関川村の秋模様


           冬に入っても秋日和の山はまだ紅葉が残り
           葉を落とした枝と緑の木々が縞模様。
           空気がびりっと冷えていますが、爽やか。
           先生は良い所にお住まいです。また、訪れたいと
           皆思っています。お墓参りが楽しみです。

 その日の羊雲


           お墓参りの日は、この時期には見られない見事な羊雲が
           青い空一面に広がりました。先生がご用意してくださった
           お天気だと、一同空を見上げては先生を探しました。
           夜7時のニュースで、9月に見られる羊雲が現れたのは
           珍しいと報道されました。やはりただ事では無かったようです。

お墓参り


          雪が来る前に、先生にお会いしましょうと、2007年11月29日
          先生と旅や勉強会を開いていた一行が、関川村を訪ねました。
          久しぶりの対面に、皆、心がホックリとして、笑顔が広がりました
          今度は先生の大好きだった桜が、村に咲く頃にまた訪ねましょうと
          お約束して辞去しました。小春日和の素晴らしいお天気でした。

2007年11月29日木曜日

動画を追加

「渡辺俊男の世界」に動画を追加しましたので、
ご覧ください。

2007年11月13日火曜日

3年カレンダー

3年カレンダー

3年カレンダーを載せてみました。
上のマッターホルンの絵をクリックして、
ウェブアルバムにあるスライドショーの
ボタンを押してください。

2007年11月3日土曜日

先生の故郷関川村


          関川村は、四方を山に囲まれた豊な田圃が
          広がり、その中を清冽な荒川が自由闊達に
          流れています。庵を結ぶに最適な大地です。

渡辺俊男先生のお墓


        お墓の頂点の球体に先生の書で表に「天」裏に「地」
        とあります。壮大な宇宙の存在を、この一点に留め
        広い世界に飛び立つ思いが在ったのでしょうか。
        お花台がちょっとせせこましく、肩が凝りそうという
        先生の声が聞こえて、次の写真のようにしてみました。
       

 渡辺俊男先生のお墓ゆったり版


          「肩こり花台」が下に降りて、天球がのびのびと
          お墓の頂点で、天に向かっています。先生の
          「これでラックリしたよ」と言う声が聞こえてきました
          いかがでしょうか。先生の書、生きてきました。 

2007年10月30日火曜日

渡辺ゼミ一行・先生の墓参


       10月28日、関川村の無責庵を渡辺ゼミ一行が訪ねました。
       晴天に恵まれ、関川村の美しい自然が優しく迎えて
       くださいました。賑やかに先生と一緒にお弁当を頂き
       楽しい語らいの時を過ごしました。先生にお会いできた
       嬉しさで皆ニコニコしています。

2007年10月17日水曜日

慈恵会医科大学予科時代・寮歌作詞


         慈恵会医科大学の予科時代に、寮歌「惜春別離之詩」
         を作詞、後輩の井関氏が作曲しました。この詩の一部
         が、慈恵第三病院の一隅に石碑にとどめられています。
         この寮歌は今でも歌い継がれているそうです。

軍医として出征


         昭和16年頃、軍医として大陸へ出征しました。
         凛々しい青年時代の先生。この後、シベリア物語
         が始まるのです。戦場での医術に備えて、外科の
         先生に手術を習い、出征してゆきました。

 横浜国大退官「日々有情」から


         横浜国大を65歳で退官、多くの友人のメッセージで
         綴られた「日々有情」が記念誌となりました。
         そのときの写真がこれです。ちょっとシャイに構えて
         「おもちゃ箱をひっくりかえしたような人生でした」と。
         

 日々有情から


     横浜国立大学定年退官時の記念誌「日々有情」の書から。 
     先生の命題は花・風・雪・月など自然の森羅万象を書に現します。
     30年前、65歳で定年退官時の作品です。今も昔も変わっていません。
        

2007年10月16日火曜日

お茶の水女子大学渡辺ゼミ追悼会


         お茶の水女子大学渡辺ゼミの祭壇です。色とりどりの小菊を
         献花し、秋の色を染め上げました。先生には鮮やかなお花が
         似合います。和やかな会に先生も参加なさっていると誰もが
         思い、先生に語りみなで頷きあう心に残る会でした。

お茶の水女子大学渡辺ゼミ追悼会


          10月14日市谷アルカディアでお茶の水女子大学生理学教室
          の先生を偲ぶ会が開催され、殆どのゼミ生が集まり、先生の
          思い出を語りました。年齢差15年くらいありますが、いつの時代
          でも、それぞれに先生から頂いたものが、心底にあり、
          バックボーンになっているとのことでした
         

2007年10月15日月曜日

みどり病院でのスケッチ


           夏は必ず朝顔を植え、一花一花を愛でていました。
           そのような日々を懐かしんで描いたのでしょう。
           バックの華やかな色合いは、白い病院の壁の中の
           イメージの世界です。

みどり病院でのスケッチ


           夏の風物 ほうずき市で鉢をもとめ、よく描いていました。
           さらっと書き留めたほうずきに、愛情が込められています

みどり病院でのスケッチ


         大好きな向日葵は、何十回となく描いているので、さらさらと
         スケッチします。病院のベッドの上でクレヨン画きしたもので、
         亡くなる1週間前頃の作品です。

2007年10月13日土曜日

渡辺ゼミ追悼会


     2007年9月22日渡辺ゼミの「先生を偲ぶ会」が開催されました。
     ゼミの場所シャン・ド・ソレイユに25名が集合。
     献花は先生のお好きだった向日葵を手向け、ご冥福を祈りました。
     先生を失った喪失感、寂しさを、ともに分かち合いました。
     先生からいただいた言葉「始めも終わりもありません。
     すべてのことは途中です。だから進むのです」 
     を大切にして、これからも月1回の渡辺ゼミを続けます。

 渡辺ゼミ偲ぶ会


       渡辺ゼミは月1回定期的に開かれ、既に20年を超える
       ロングランです。それも渡辺先生の不思議世界に魅せ
       られたからでしょうか。先生亡き後もラン・ラン・ラン

慈恵医大第三病院(93歳)

 
      先生が作られた寮歌の詩「惜春別離之詩」が、慈恵会医科大学
      第三病院一隅の石碑に刻まれています。93歳の誕生日7月10日に
      撮影されたお姿です。優しく穏やかな表情から、先生のお心を
      読み取ってください。新潟のみどり病院に転院される直前です。
                         

2007年10月12日金曜日

箱根・山のホテル(90歳頃)


            箱根・つつじの美しい山のホテル庭園で。
            90歳とは思えないダンディな様子。
            何をお召しになられても、よくお似合い
            でした。画家のセンスでしょうか
               
               

関川村(82歳頃)


          ゼミ旅行で先生の故郷関川村の渡辺邸を
          訪ねました。渡辺邸の囲炉裏端で、お餅を
          ご馳走になり、すっかり我が家の主のように
          寛がれています。82歳のお元気な頃です

横浜国大時代


           横浜国立大学時代の元気盛りの様子です。
           60歳代の映像ですが、晴れやかで充実した
           日々が伺えます。お茶の水女子大学から移られ
           男子学生との交流も楽しまれていました。

お茶大時代(48歳頃)


       お茶の水女子大学時代の血気盛んな研究者。アメリカ留学から
       戻られ、日本で始めてリラクゼーションを紹介し、この研究
       を始められた48歳頃の先生です。

焼岳2


        焼岳は生きている。
        時おり上がる水蒸気を見ていると、
        山の鼓動が聞こえてくるようだ。
        自然を侮ってはいけない。
        長生きな自然の営みのほんのひとこまに、
        私たち人間が関わっている。
        いまや、地球の声に、耳を傾ける
        時がきている。
        人間の巧みより、自然のたくみ。

2007年10月11日木曜日

西安郊外


       西安の街も郊外も、ベンガラ色の土があふれて
       いました。
       鬱蒼とした街路樹、家々、人々が、なじみ深い
       土に覆われています。
       シルクロードをたどって郊外に出ると、人は土と
       一体となって、呼吸していました。
       自然の中で生きる強靱な生命力がそこにはあった。

2007年10月10日水曜日

仙石原



      高原のすすきは うねりとなって 山を這い登る
       夏に飽いた心身は 草原に埋もれて蘇生する
        秋風が一層 人懐かしい思いを募らせる

2007年10月9日火曜日

桂林乱調


      時には厳しい山水の動き 一瞬の光芒は水を貫き
           乱雲は 天地に逆巻く
      小舟は波間に翻弄され 大いなる力に額ずく

2007年10月8日月曜日

谷川岳紅葉


     冬の訪れを前にして 山は絢爛豪華 色彩の饗宴
         谷川岳の峻厳を 紅葉の衣で包む
     樹々は力の限り 束の間の秋を楽しみ 冬の眠りに就く

2007年10月7日日曜日

蒼天


       どこまでも澄みきった空、悠久の大地・・・・・・
       そんな中国の風景を思い出しながら
       書いてみました。

2007年10月5日金曜日

ストックホルムの残照


   フィヨルドを訪ね、荒涼とした自然をめぐる北欧の旅に出ました。
   透明な空気に満たされて、空がすばらしく美しい。
   残照がストックホルムを豪華に染め上げていました。
   きっと、海の魚たちも水の中で、この夕陽を眺めているに
   ちがいない。

2007年10月4日木曜日

焼岳1


     焼岳は大正4年生まれ、僕より一つ下の弟です。
     上高地を訪ね、大正池や焼岳に会うたびに、
     特別の親しみがわきます。
     ここはいつの季節も美しいが、秋はとくに絢爛豪華。
     ありったけの絵の具を使って、山の生命を僕にもらった。

2007年10月3日水曜日

大雁塔



 80歳を前にして、やっと長安(西安)の都を訪ねることができました。
 中国三千年の歴史は、ロマンをかきたて悠久の世界を広げてくれます。
 折しも、玄奘(三蔵法師)ゆかりの寺、慈恩寺の大雁塔に、安倍仲麻呂が
 仰いだ月が上りました。
 イメージは、夢と現実を区別しない。

2007年10月2日火曜日

荒川の残照



    故郷、新潟県関川村は山形県境の小さな村。
    村の中を流れる荒川には、今も鮭が踊り、四方の山々は緑が濃い。
    夕餉の頃、外は一日を惜しむ残照が、川面に映えていた。
    誰もいない河原は、私だけのキャンバス。
    夕日に一日の感謝を込める。

2007年10月1日月曜日

ごあいさつ



俗界を離れて、はやふた月も過ぎ去り、身は関川村に
落ち着きました。ふるさとの川、荒川のほとりに無責庵
なる庵を結びました。どうぞ、皆様、しばしのあいだ世俗を忘れ、
雑事を去って僕の庵で遊んでいってください。
風は冷たくなりましたが、心を暖めて待ってます。